新年会をやらないまま、
あと3ケ月で年末という驚愕の事実!
不景気のわりにみんな忙しいのね...。
どうも、店長です。
思慮深くなりがちな秋に向けて本を紹介しましょう。
人が鬱々としてる話にひっぱられて落ち込む場合があるので
鬱まっただ中の方、ちょいと背中を押されたらヤバいかも!って方は
読まないほうが無難かも...。
でも
読む人によっちゃぁ、希望です、この本!!
サブカル・スーパースター鬱伝/吉田 豪
鬱体験をしたサブカル著名人たちにプロ・インタビュアー吉田 豪氏が迫ったこの本。
リリー・フランキーさんや大槻ケンヂさん、みうらじゅんさんなどなど、
面白い視点を持ってるセンスのいい人たちが鬱やっててなんとか乗り越えてきてる
その事実に、勇気が湧かないわけがない。
そしてみなさんとなら
心から仲良くなれそうな気がして、嬉しさすら感じました。
リリーさんの「鬱は大人のたしなみですよ」の一言でどれだけの人たちが
肯定されることか。
以前、老人ホームに出入りしたことがありそのとき私も考えたんだよね。
ああいった、趣味嗜好で寄り集まったわけじゃないコミュニティで
例えばあんまりおおっぴらに自分をアピールするタイプじゃない性格で、
だけどjazz好きなお爺さんがいたとして。
一般的にあまり知られていないものすっごいマニアックなjazzを知ってたり、
うんちくに詳しかったり、その方面では神!って言われたとしても、
老人ホームでそのお爺さん好みのjazzをレクリエーションで
かけてくれることなど奇跡に近い。まず、ないでしょう。
知識を語る、場も無い。
それって地獄!
前衛的ジャズ・ミュージシャン菊地成孔さんが老人ホーム入ったら
好きな音楽も聴けなくてストレス地獄でおかしくなるんじゃないかしらん...。
趣味嗜好がマイノリティであればあるほど、それを発信する立場にあるときは
希少価値が高いけれど、逆の立場になったときにものすごく生きづらい。
サブカルはリスクを背負った生き方なのです(笑)
誰が悪いんでもない話です。
なんでクモガニが一斉に月夜に10万匹も集まって脱皮するのかといえば
いっぺんに脱皮したら、やわらかくてすぐいろんな動物たちに喰われちゃうけど、さすがに
10万匹は喰われつくされないだろうってことだそう。
その逆、人間はカニよりかはなかなか死なないほうだから、
生き方が多種多様あることでこそ、全滅を免れているのだ。
文系な思考を持っている方というのはこんなとき
違った見方で違った形に変換するのが得意だったりするわけです。
創造ってたぶんこの、ギリなとこで生まれるものだと思います。
ギリであればあるほど、重く、深く、響くのよね。当人にとっちゃ危険だけど。
たぶん、大方の人は年を重ねるごとにこだわりが弛みテキトーになって来ますよね。
(目を使うのも集中するのも疲れてくるなどの体力的なこともあって)
そんで、お手軽に転がってる流行のモノが格好わるかろうがなんだろうが、
なんだって取り入れちゃうような強さを持ち始める。
おばちゃんが流行のギャグを間違って使うなどのシーンでよく見られることです。
それが生存するための、本能的な強さなんでしょう。
だから頑固でだんだん友だちとも遊ばなくなってくる男性より、
集まったら脈絡も意味さえも無く、まー五月蝿くしゃべり続ける女性のほうが
長生きするってのは頷ける。
ここで私は
なんでも受け入れたもんが最強説を唱えます。
周りにどう見られようが、迷惑がられようが、関係ない!!というのは
他の追随をゆるしません。one and only.
(善し悪しはここでは置いておいて)
たぶんそういうふうに俗世に迎合できない人が鬱っちゃうんじゃないかと。
実感込めて思うよぉ。(自分も経験あるので)
逆に、マニアックに探求しちゃう力をひときわ持った
こういうサブカルな人たちの強みってのもあると思うんです。
どん底なときでも「好きなこと」「好きなもの」をキャッチしてしまったら
人並み以上にすごい力が本能的に出ちゃうっていう。
とことん追求したいという性質が勝って、知らぬ間にアイドルに救われてた
っていう杉作J太郎さんみたいなこと。
私、あんなにJ太郎さんに共感する日が来るとは思わなかった(笑)
私の場合はいつも音楽がきっかけで救われてきましたが
だいたい同じことだと思います。
街歩いてる人がじろじろ見てくるのがムカついて、みんな敵に見えて、
生き生き生きてる人たち見てるとヘドが出るって感じで、
だから誰にも会いたくなくて、外出したくなかったのが急に
ライブに行きたい一心で外出できるようになりましたから。
(.......改めて文章にするとヤバいね、あきらかにびょーきだね!!!)
川勝正幸さんも、やっぱ音楽や映画で救われるってことはありますからって言ってる。
人もシステムも社会もなにもかも全てが信じられなくなって、
そんな時に生々しい人間関係より、優しくて頑張ってて勇気をくれるものを
ひとつフィルターを通して感じる。
それくらいの距離感が、ちょうどいい場合がある。
それをとっかかりに本当の人間関係ができていくものです。
人見知りな私でも、ライブ会場で友だちが出来たことは
多かれ少なかれありましたもの。
人の話聞かないで自分のことしゃべるだけしゃべってくる人が多いと
本当に気が滅入りますよねー。あと、話を一生懸命聞こうとしてるのに
相づちに無反応、または「いやそうじゃなくて」って否定して遮って、あげくに
面白くもないことをしゃべってしゃべってしゃべって、
私いなくても勝手にしゃべってすっきりしてりゃぁいいじゃんて人ね。
あれは消耗するわー。
おばちゃんに結構多い。
それをブログでやってるのが私みたいタイプな。
って、うるせーわ!!押し付けてないからマシだろがい。
..........................。
あれ?何の話だっけ??
ああ、そうだ。
心置きなくしゃべれるけど、傷つけないように自然に心遣いをし合えるような
友人とか家族のひとりは、確保したほうがいいってのは絶対!
それがサブカルと言われるような、面白い切り口のささいな物事から始まったらなおさら
ものすごい共感と喜びが生まれる。
それがさ、俗っぽい日常でそれが発揮できたらいいんでしょうね。きっと。
ふざけてしゃべりまくってくるおばちゃんを笑えるような。
サブカルな人たちの鬱話だからこそ、深く響くこともある(さすがに例えとかが面白い)その反面
生きてたら誰しもに共通する老いとか病気とか別れとかっていう根源的なことにも触れられてて、
だけど乗り越えることが出来るもんだな、っていう、希望の本だと思いました。
こんなに共感できる人たち、いるんだなって。
あと、よく言われることだし、豪さんもインタビュー中に何度も言ってますが
「運動」もやっぱり大事みたい。